慌しい日はこうして始まった
2004年3月12日 日常滅多に職場に入らない家からの電話。
義弟祖母の容態がよくないとの知らせが入り、
残業体制を切り上げ、病院へと駆けつけた。
病人は確かに先日会った時よりもかなりやつれてはいたが
意識もしっかりしていて、
私の顔を見ては 何度も「ごめんね」を繰り返す。
辛い・・・。
30数キロしかないのに 顔も手も足もパンパンに腫れていた。
万が一に備えていろいろの準備に帰宅した妹の姑さんのかわりに
母と一緒に付き添いを。
なんとも辛い・・・。
それを察してか、母が帰宅を促し
病人にも「お父さんが待っているから早く帰って」と気遣われた。
結局「元気を分けてあげるから、がんばってね」と手を握り、
早々に病室を後にした。
義弟祖母の容態がよくないとの知らせが入り、
残業体制を切り上げ、病院へと駆けつけた。
病人は確かに先日会った時よりもかなりやつれてはいたが
意識もしっかりしていて、
私の顔を見ては 何度も「ごめんね」を繰り返す。
辛い・・・。
30数キロしかないのに 顔も手も足もパンパンに腫れていた。
万が一に備えていろいろの準備に帰宅した妹の姑さんのかわりに
母と一緒に付き添いを。
なんとも辛い・・・。
それを察してか、母が帰宅を促し
病人にも「お父さんが待っているから早く帰って」と気遣われた。
結局「元気を分けてあげるから、がんばってね」と手を握り、
早々に病室を後にした。
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